アメリカ合衆国は決して文明レベルが高くはない-資本主義国家の神髄

世界の大国であるアメリカ合衆国が謳歌を極めていたのは、実質1950年代まで。その後、1960年代からベトナム戦争が泥沼化していきました。

ベトナム戦争の開始と共にアメリカ国内では富の移行が始まり、多くの中産階級が消えていきました。

当時の古いアメリカの映画を見ると、中産階級たちは白い二階建ての家に住み、全幅2m、全長6mに達する巨大なアメ車を乗り回すシーンが印象的。第二次世界大戦を経験した日本人はアメリカの映画を見て大きな影響を受けたに違いありません。

 

1908 Detroit Ford(1908年のフォード工場)

 

1930s Detroit car factory(1930年代のデトロイトの自動車工場)

工場内のラインが更に自動化され、働く人の数が大幅に減っている様子が確認できます。

 

Legend of Detroit(デトロイトの歴史)

 

既に、1908年にはデトロイトで大量生産方式により自動車が生産されていました。一方、日本では以下のような時代でした。

 

日本の1930年代

当時のアメリカと日本を比べて、何も日本人はコンプレックスを抱く必要はまったくありません。文明と経済は地球上を長い時間をかけて移ろいゆくもの。

 

1950年代、デトロイト市の人口は1,800,000人を超えています。これは、自動車生産の最盛期を表していると言えます。しかし、同市の人口は2012年には700,000人まで激減しています。

しかも、デトロイトは全米の中でも治安の悪さで1位、2位を争うほど。そして、2013年7月18日にデトロイト市は財政破綻しました。財政破綻した全米自治体の中で、デトロイトは負債総額が全米一なのです。

 

Detroit’s Tragedy(今のデトロイト)

なお、これらはアメリカの歴史の片鱗で、全米すべてを表すものではありません。その後、アメリカは自動車を代表とする製造業よりも、ITの分野へ舵を取ることになりました。

 

IT分野で世界をリードするアメリカ

私たちの日頃の生活の中で、アメリカの製品といえば何を思いつきますか?

スマホのiPhone(生産は中国)とOS、アップルのMac(生産は一部中国)、ミュージックプレーヤーiPod(生産は中国)、パソコンのCPU、パソコンのOS、検索エンジンGoogle、YouTube、フェイスブック、ツイッターは全てデジタル世代にとっては欠かすことができない技術ばかり。

 

iphone

 

大まかに言えば、アメリカは日常生活に密着した「物」作りに関しては遠い昔にさっさと諦めて、それを得意とするアジア人たちに譲ってしまいました。

今、アメリカ企業の製品で世界を制覇しているものは、形が無いソフトウエアが目立ちます。しかも、インターネットと繋がりをもつソフトばかり。

 

自由とは自己責任

アメリカと言えば、「自由の国、アメリカ」という言葉が頭に浮かぶかもしれません。

 

自由の女神

 

「自由の国」と言う言葉を耳にすれば聞こえはいいものの、言い換えれば全て自己責任ということ。

多くの日本人は「自己責任」という言葉の真意を知らないと思います。何故なら、日本は純粋な資本主義国家ではなく、社会主義的な資本主義国家であるから。

多くの日本人が持つアメリカのイメージは、幻想に近いかもしれません。日本人はアメリカ映画の見過ぎという側面もあるかもしれません。

確かに、アメリカの映画は見応えがあります。私も大好きです。

しかし、日本に入ってくるアメリカの情報はごく一部で検閲されている部分が多く、アメリカの全貌がまるでわからないのです。

 

主権国家ではない日本

周知のように、アメリカ合衆国は純粋な資本主義国家。対して、日本は社会主義的な資本主義国家。

横田基地

 

日本は官尊民卑の国。

役人が社会に対して常に目を光らせています。

役人は日本国憲法下、そして法の下、行き過ぎた経済活動や国民にとって不利益となる事象に注視し、国民の「健康で文化的な最低限度の営む権利」という基本的人権を担保しています。

勿論、日本国憲法は第二次世界大戦後、無条件降伏の下、アメリカによって作られたものです。

戦後74年が経過している2019年の今をもってしても、日本国領土の各所に米軍基地が堂々と存在していること自体、日本はアメリカの属国のままであり主権国家ではありません。

 

資本主義は強者の理論

アメリカの純粋な資本主義というものは、一言で言うと「強者の理論」。

ニューヨーク、ダウンタウン

 

強者に関しては割愛しますが、膨大なドルを持つ一部の資本家と巨億の富を築いた企業が全米および世界を支配しています。また、アメリカは二重国家制、連邦制により、各州が独自の法律を持つからややこしい。

日本のような中央集権国家で生まれ育つと、連邦制に戸惑いを感じます。要は、アメリカの各州が国でもあります。よって、州をまたぐと法律が変わり、戸惑うことが多いのです。

 

本来、アングロサクソンは社会を二分化して国を統治する思想を根底に持っています。社会は資本家と労働者に分かれ、中産階級という発想はありません。

これは日本人とは異なる思想。日本は今をもってしても、まだ全体主義が根底に残っていると思います。

純粋な資本主義国家と社会主義的な資本主義国家のどちらがいいって?それは、人それぞれによって答えが変わってくるでしょう。

 

本来、日本人は相互扶助の思想を持ち、自分だけではなく、自分が属する組織や社会との共存共栄を図る考えがDNAに刻まれているのではと思えてしまいます。3.11東日本大震災の時、他国なら暴動が発生してもおかしくありません。しかし、3.11の後、「絆」という言葉が日本列島を駆け巡ったのです。

日本には村社会から引き継がれてきた思想なのか、「足るを知る」という日本人としての生き方があるのかもしれません。

日本人は日本人を卑下し、自虐的な思想を持つ人が少なくありません。これは、欧米という古い古い幻想的な言葉に洗脳されているからだと思います。

「欧」と「米」はまったく異なる国。

更に言うならば、遠い過去において、日本は欧米を追い越している事実を再認識した方がいいと思います。

 

個人主義のメリット、デメリット

イエローキャブ,ニューヨーク

 

アメリカは個人主義の国。自分を中心に物事を考え、自分のメリットと利益を最優先します。

アメリカはプロフェッショナル達で成り立っている国のため、プロたちは専門知識や技術を身に着けて、それを組織内で発揮していきます。

アメリカの企業は業績の変化時や株価の更なる高値更新を目指して即、社員を解雇するのが常識。社員もそれを心得ているため、かつての日本人のような愛社精神を持つ者は多くはありません。

 

質の高い物を作るには、多くの優れた技術者と職人たちが必要。1人の天才がいても、物作りは絶対にできません。

日本の教育制度上、天才を生み出さない代わりに粒が揃った人間を多く輩出し、更に日本人特有の強固なチームワークによってモノ作りを極めたのではないでしょうか。

 

この日本の会社と社員との関係は親分と子分の関係を大きく拡大したようにも見えます。

親分が仕事を確保し、職人たちが黙々と作業を続けます。職人たちは仕事にプライドを持ち、仕事の結果にケチをつけられると自分が否定されたような気分になります。職人たちは仕事に妥協せず働き、親分が職人たちの面倒を見るのです。

この関係の中に個人主義的な思想はあまり見られません。

そして、労働の質というものは最終的に品質となって現れます。某国の自動車の信頼性の低さというものは、愛社精神と物作りのプライドをあまり持たない労働者たちの心と質が反映されたものと考えて大きな間違いはないと思います。

 

アメリカは移民を受け入れてきた国であり、0から1を生み出す天才を輩出してきた国。しかし、アメリカは多くの労働者が一致団結して、高品質な物を低コストで大量生産する分野にはあまり向いていないのかもしれません。

 

ここで個人主義の是非を論ずることはできませんし、白黒付けられる問題ではないでしょう。ただ、アメリカの独立宣言が採択されたのは1776年。アメリカは独立してから、まだ二百数十年程度のとても若い国なのです。

 

東インド会社のような国、アメリカ

アメリカ合衆国は、その短い歴史の中で純粋な資本主義のテストを行ってきた結果、極めて異質な国家を形作ってきたのは確かでしょう。

看板-ウィンチェスターライフル

 

例えば、先進諸国の中で銃の所有が合法である国はアメリカだけ。世界的に新興国であっても、銃の合法所有は有り得ません。

アメリカの各家庭で銃の管理は厳格に行われているものの、やはり銃の取り扱いミスや子供のいたずらによる事故、学校内での発砲事件等のニュースが絶えません。

アメリカ国内で治安が一部、悪い場所があるから銃が必要なのか、それとも銃の所有が合法であるから治安が悪いのか、どちらが先かは「鶏が先か、卵が先か」の話と同類かもしれません。

かように、アメリカ合衆国は先進諸国の中でも、極めて異質な国と言わざるを得ません。日本人はそれに、もっと気付く必要があるでしょう。

 

文明国に必要なものは

本来、文明国に必要なものは何でしょう。

私が思うには、社会のセーフティネットとして健康保険と介護保険、年金制度は国家によって運営されるべく必須のシステムであると思います。

何故なら、人は予期せぬ事故による怪我や病気を自分でコントロールすることができないからです。生身の人間である以上、永遠に無事故で健康でいられる保証はどこにもありません。

いざという時は安心して病院に行き、一部の個人負担で済む健康保険制度は国家によって運営されるべきでしょう。

また、20代から30代にかけてはリタイヤ後の年金生活なんぞ実感が湧かないもの。しかし、必ず誰もが年を取り、老化によって働けなくなる日が訪れます。

よって、国家が運営する介護保険や年金制度も必須であると思うのです。

更に、社会が子供と老人を大切に見守り、未来を作る子供達と人生の中で未来を作ってきた老人を思いやる仕組みが必要だと思うのです。

最低限これらが備わっていない国は文明レベルが高いとは言い難いと思うのですが、いかがでしょうか。

 

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