俗にいう「天才」とはいったい何なのでしょうか?
あの人は「秀才」、「天才」という会話が交わされることがあります。しかし、秀才と天才は明らかに定義が異なります。
ここで、ネット上に見つかった「天才」について引用させていただきました。
あなたはどう思いますか?
出典:天才を認知科学する
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天才を認知科学する
万人の能力を遥かに凌駕した、特別な才能を持つ天才。
最新の研究で、天才と呼ばれる人達は私たちと物事の考え方、計算処理の方法が大きく異なっていることが、少しずつ分かってきました。
では実際、どの様な思考回路で物事を考えるのでしょうか?
天才に関する各種資料・書籍、僕の知り得た経験や憶測などから、天才が思考する方法について、僕が感じていることをまとめてみました。
まず最初に天才の定義ですが、「万人よりも遥かに優れた能力を有し、その能力を活用して社会に認められた人」を指すそうです。
すなわち、いくら天才的な能力を有していても、社会に認められなくてはただの普通の人ということです。
ということは、身近な人で天才的な能力を持ちながら、この世に認知されない人が沢山いるのでしょう。実際のところ、天才と呼ばれる人達には、いくつかのタイプがあります。
社会で活躍している超一流のスポーツ選手やミュージシャン、毎回ヒットを飛ばす小説家や作詞・作曲家、演出家や トップダンサーなど、 各分野で特別に優れた技能や能力を磨き、それを表現し、認められた人を天才と呼びます。
天性が優れ、更に努力すると天才と呼ばれるようになります。
ですが、この様な場合、天才ではなく 「天才的な人」 に該当するのでしょう。本当の天才とは、無理な努力をしてもしなくても、天才的な能力を使って世の中の常識を変えてしまうような実績を作り上げた人が本物の天才に値するのだと思っています。
エジソンが残した「天才は1%のひらめきと99%の汗である」という有名な言葉があります。
この言葉をそのまま解釈すると「天才でも、たゆまない努力が必要」ということになります。
実は、このエジソンが残した言葉の伝わり方(解釈)が間違っていて、この言葉の真意は「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄である」というのが正しいそうです。
言い換えると「ひらめきがない努力は無駄」という意味にもなります。
例えば、高いIQを持って生まれてきた人は特別な努力をしなくても記憶力が常識を越えている、難しい問題をあっさりと解いてしまうなど、生まれつき万人とは思考回路が違っています。
では、天才的な人や本物の天才はどの様な思考回路で物事を考えるのでしょう?
(1)数学的天才
このタイプの天才は計算速度や記憶力がとても高く、数字をイメージ(形や記号)として把握し、右脳の機能をフル活用して処理するタイプの人達です。
この人達は、どの様な方法をとるかというと、 計算式を使わず頭に描いた絵で計算処理します。
計算速度が高い天才
例えば、261+358という式を計算する場合、私たちは学校で習ったとおり、1桁目の1+8=9から(もしくは3桁目から)足し算して計算していきます。
しかし、天才人の場合は計算式などは使わないそうです。頭の中で一切のことを考えず集中力を高めます。
実際、どの様に処理するかというと、頭の中で1という形の記号の上に8という記号を乗せます。頭の中で記号を乗せ合わせた瞬間、9という記号が出てくる仕組みになっているそうです。
3桁の計算も、261の上に358を乗せると勝手に出てきた記号(計算の答え)が浮かび上がる仕組みで、実はとても単純な処理方法です。
この計算処理方法は、いわゆるパソコンの計算方法と同じ仕組み。天才的に計算が速い人は頭の中に普通の人が使っていないシステム(ソフト)を使っている様なものなのでしょう。
この方法を説明するのに1つの実例として、例えば、外国に行って700円の買い物をするとします。そして、支払い時には1,000円を渡します。
すると、欧米人はお釣りを渡す際に、まず700円を頭に描き、そして実物の100円を1枚ずつ足してゆき、1,000円になるまで100円を足し続けます。すなわち、足し算することで お釣りを計算していきます。
ところが日本人の場合、頭の中で引き算を使って瞬時に計算してしまいます。
この能力は日本人にとっては特別なことではなく、誰でもが出来ます。しかし、引き算を頭の中で計算出来ない人達にとっては、とても不思議な能力に思えるそうです。
この種の天才は、説明はできないけど、頭の中に即座に計算できる能力(システム)が構築されていて、数字を画像(記号)として捉えているのです。
(多分)だから、天才にとって100桁の足し算を瞬時にすることは特別なことではなく、私たちが出来ないのを不思議に思っていることでしょうね。
このイメージによる計算方法は決して新しいものではなく、数字や計算式が使われていない太古人が使っていた方法だと考えられます。計算式が元々なければ、頭の中で記号による計算をするしかないはずですから。
しかし、標準的な式や文字がない太古人の場合、人それぞれ頭の中で違う記号を使っていたのでは伝達に支障が出てきます。
ある日、ひとりの天才がなんとなく不思議なイメージによる計算方法を理論的に証明できるよう、 記号(数字)を統一して、 誰にでも答えを説明できる手段として、数字が生まれ数式をつくり、数学という学問も発見されたのでしょう。
この数学という理論を発見をした人は、まさしく天才ですね。
(2)記憶力が高い天才
描こうとした風景や建物を一瞬で記憶に焼き付け、自宅に戻って正確に描写できる天才画家がいます。
この種の天才の場合、見たものをそのまま画像記憶として脳裏に焼き付けます。しかし、万人にはこの様な記憶法はできません。
私たちが行う記憶法は例えば、学校の授業で歴史を覚える場合、年号という数字とその時起きた出来事を、概念として順番に覚えていきます。そして、直ぐに忘れます。
(ここ重要↑)
しかし、天才人の場合、言葉の概念を覚えるのではなく、目で見た年号表を画像としてそのまま記録し、頭の中で記録した画像がそのまま残っているのです。
しかも、忘れることなく正確に保管できるのです。
記憶力の高いタイプの天才は、とにかく何も考えず、頭の中で画像をイメージし、それを心の目で見ています。「起きてはいるけど夢を見ている」といった感覚でしょうか。
実は、この能力は鍛えればある程度まで伸ばすことができるそうです。しかし、計算能力などは既にパソコンが代用しています。
パソコンがない時代、それはとても素晴らしい才能でした。しかし、世界中にパソコンが溢れている現代では、優れた計算処理や記憶能力の価値は低くなっています。
この種の才能は本来誰でも持っていた能力だったのですが、文明の進化と共に人間が自ら退化させてしまったのでしょう。
(3)芸術的天才
次のタイプは感性や思考が万人より突出しているタイプで、芸術家を始め、科学者や思想哲学者などが含まれます。
この種の天才達はとてもよく似た共通点があり、精神的な問題を抱えている人が少なくないのが特徴です。
天才的な演奏者
楽譜を色で識別し演奏したり、楽譜(曲)を覚えてしまう天才がいます。
天才の頭の中に、帯状のテープみたいなものが描かれているのかもしれません。音が音階ごとに色分けされていて、また音の強弱も色の濃薄で分けられ記憶されているのかもしれません。
また、演奏している音を感じる時、普通の人は耳から入ってきた音(情報)を脳で処理して聴いています。
天才的な人は聴覚だけではなく、皮膚に伝わる振動(感覚や触覚)なども音の情報として受けとり、総合的に判断して音(音楽)を聴いているようです。
天才的な画家や哲学者(哲学者の研究者を除く)
これらの人たちは、もともと私たちが見ている世界(空間)や考え方(思想)が違っています。
見る角度が違うので当然、私たちの常識とは違っています。この、「違う」ということが新たな価値観や創造性を生み出します。
このため、この種の天才は一般社会では変人扱いされることがあります。でも、天才とは本当に変な人なのでしょうか?
僕の意見では、天才と一般的な変人とは大きく異なる点があると思います。
天才の場合、常識を理解しているけど、普通の人と考え方が違うため、変わった目で見られてしまうのでしょう。
しかし、一般の変人は常識を理解していないために、常識を逸脱した行動や考え方を押しつける人達です。
天才人の精神構造
天才と凡人の変な行動は結果的には同じ様に見えても、実はまったく違うのです。では、天才人の精神構造を具体的にあげてみましょう。
・常識で判断せず、一般常識を常に疑いをもった目で物事をみている。
・最後までやり遂げようする強い信念を持ち続ける性格である。
・感性や感受性が鋭すぎるため、統合失調症や神経症などの精神病気質がある。
・神や神話などに対し信心深く、尊敬の念を抱いている。
・物事を考える視点が、世界、神や宇宙視点などから人間の存在を見ている。自分を中心にした物の見方をしていない。自己の存在が薄い。
・成長過程で精神的、知能的に成熟が遅い人が多く、少年時代は劣等生や問題児であることが多い。
・記憶力が弱いなどの欠点があるが、成人してからも脳が発達するため、(いわゆる大器晩成型)その欠点を補える人もいる。
・脳の発達とともに、すごい集中力をみせる(脳の発達が人よりも遅かった効果?)
・一般人と幸福の価値観が全く違う。 お金や名声が幸せであるとは考えていない。
・自分を含め、人間とはとても小さい存在だということを理解している。
・生きる目的を知っている。自分の役割を認識していて、ある意味では強迫観念に支配されている。
・万人がこだわる小さな出来事に惑わされず、常識では幸せだと定義されている、恋愛、お金、名声、プライド、異性交遊、容姿や物質要求などに、あまりこだわりを持っていない。
・一般人が求める幸せとは違う、別の幸せを求める。その価値の大きさを理解している。
・地球の未来予想図が頭の中に理論的に描かれていて、未来を見つめながら現実や現状と照らし合わせて、全ての平和に向けた活動(発明、メッセージの伝授、危機の警告などを表現)を行う。
・時間の流れに逆らわず、忍耐強く待つことが出来る。社会情勢に敏感で、常にタイミングを計算している。
この種の天才の精神構造を並べてみましたが、もちろん全ての天才にこれらが当てはまるのではありません。
この様な精神構造(意識)を幾通りか持っていて、それは人それぞれ違いますし、またこれ以外の精神構造もたくさんあると思います。
それと、この様な精神構造は普通の人にもあり、特別大きな違いでもありません。しかし、本当の天才となると、万人とは明らかに違う点がいくつかあります。
天才が万人とは違う点
パラノイア境界の世界を知っている
パラノイアとは、いわゆる精神的疾病。天才人の心は正常と異常の境界線に立つことができます。
当然、一般人も精神的な病気を発症しますが、その場合、境界線を乗り越えて狂気の世界に移行してしまいます。その異常な世界、狂気の世界こそが創造の原点になります。
異常な世界とは、まさしく非常識の世界で、常識にはない、常識的でない、常識では考えられない、まったく新しい価値を生み出す創造力の源です。
普通の人が非常識の世界に呑まれると、混乱や錯乱状態になり、日常生活でコンタクトが取れなくなる、いわゆる精神異常の状態になります。
しかし、創造力を生み出せる人は非常識の世界の中でも自分を失わず、その非常識世界を冷静に見つめながら判断し、推測して記憶として残し、常識の世界に持ち帰り、理論的に組み立てられるのです。
普通の人は非常識の世界があるということすら知らないと思いますが、その世界(異次元)は実在していて、そこはとても不思議な世界です。
「非常識な出来事を常識的に考え理論的に表現する」これこそが創造力の源なのです。
第六感が鋭い
天才はひらめきや直感、第六感が鋭く、これを常に意識的に追い求め、その不思議な能力の価値を認めているのです。
誰でも直感、インスピレーションを持っています。この感覚は単なる思いつきとはまったく違うもので「確信に近いひらめき」と言ったところでしょうか。
五感が研ぎ澄まされてくると、第六感の能力が使えるようになるようになると思われます。
しかし、この不思議な能力は理論的に証明されていません。この能力を証明するには、裏返しにした当たりカードを何度も引き当てる、などの当たった確率などでしか証明できません。
しかも、その様な手法は「手品? 偶然?」などとして疑われ、 実際は認めてもらえないのが現状です。しかし、天才人はインスピレーションの重要性や的確、確実性を知っていて、この能力を有効に活用し、この不思議な力の価値を利用しています。
※ 思いつきと直感、ひらめきはまったく違います。
表現能力が卓越している
天才は理論的に説明、表現できる能力が卓越しています。
せっかく、特別な才能を持っていても、それを表現したり、分かりやすく正確に説明する能力がなくては、結局のところただの凡人と同じです。
天才は全てを理論的に理解しているので、分かりやすく説明でき、さらに人を引きつける表現力を兼ね備えています。
その手法の1つとして、難しい問題の答えを、誰にでも分かるよう何かの事例に置き換えて説明する能力や喩え話(昔話)などの様に、一般の人には分からないようにメッセージを隠した不思議な話を作ったり、今までにない全く新しい技法で表現するなどの能力に長けています。
その能力は常に心理を追求していたり、物事を常に疑いの目でみているなどの思考方法が基本となっています。
このため人間観察も鋭く、人の心理を読む術にも長けているので、理解力や表現力、話術など人間的な魅力を持ち合わせているのでしょう。
どのようにしたら天才になれる?
では、どの様にしたら天才になれるのでしょう?そもそも、天才になろうとして、天才になれるのでしょうか?
僕の考えでは天才のタマゴがたくさんいて、あるとき神の命を受け、時代の要求や世相・背景とともに、その時代に合致した人が自然と出現してくるのだと思います。
天才は不幸な人生を送り、最後は悲惨な結末に終わる。天才が亡くなった後に、お金や名声が付いてくるのでとても不幸・・などと一般的に言われています。
実際、天才人の末路に境界線から足を踏み外し、精神が崩壊してしまった人達が数多くいます。
それを、万人は「不幸な人生だ」と言いますが、果たしてそうなのでしょうか?
そもそも、天才人は幸せに対する価値観が根本的に違います。天才は例え貧しくても、変人扱いされても、人並み外れた大きな仕事をしていることに充実感を覚えていて、大きな幸福を得ながら生きている人達だと思います。
最後に
記憶力だけで頭の善し悪しを判断してきた現代教育思想の中では、大学という機関に属していないと、天才として認められる環境が整備されおらず、天才の生まれる可能性が狭まれ、ある意味では閉鎖されていました。
また、本当の天才になりうる人材は知能の発達が普通の人より遅い(大器晩成型)パターンが多いため、青少年期は劣等性であり、とうてい大学に入れるだけの知能が発達していません。
学歴と天才(才能)は全く別だということが社会的には認知されておらず、天才が生み出される環境が整備されていないのが実情でした。
しかし、インターネットという情報通信手段とデジタル機器の普及により、個人でも隠れた才能を表現できる環境が整っています。
インターネット上のブログやYouTubeで情報を公開することにより、少しずつ有名なることで多くの閲覧者や視聴者を引きつけることができます。
そして、斬新な芸術や新たな思想を広めることもできるようなり、瞬時に世界の常識を変えてしまう可能性すらあります。
また、姿が見えない科学者や指導者になることさえ可能な時代です。
近い将来、インターネットの世界から芸術家や哲学者が生まれる日もそんなに遠い日ではないのかと僕は考えています。
それは、もしかしたら、これを読んでいるアナタかも知れませんね!
チャンスは日本、そして世界へ
どうでしたか?
何か1つでも、気になることがありましたか?
確かに、天才的な人は非凡のため、周囲から理解を得られなかったり、「天才と○○は紙一重」的なところがあるかもしれません。
天才的な人は、その時の常識だけで物事を考えず、凡人とは違った発想で物事を考えるようです。
凡人の頭はその時代の常識で凝り固まっているため、天才の考え方を理解できず短絡的に「○○じゃないの?」と思ってしまうかもしれません。
それから5年、10年、50年が経過して、天才の考え方がいかに先進的であったのか、世間から理解されるようなケースがあります。
例えば、画家の死後、作品が認められて有名になる歴史的な事実が多々あります。
日本の学校教育は天才を生み出さないシステムになっています。どちらかと言えば、日本は官僚を生み出すような教育システムになっていると思います。
その証拠として、アメリカ合衆国は日本国より「0から1」を生み出す人が多いと思いませんか?
しかし、これだけインターネットとデジタル機器が普及している今日、ネットを使った情報発信や表現が容易になっています。自分が発信した情報は、いつかネットユーザーに閲覧されます。
その情報が自分にチャンスをもたらすかもしれませんし、私たちの生活や日本を変えていくきっかけになるかもしれません。
事実、管理人がブログやホームページで呟いた日本の社会制度の問題点や製品の問題点が変更、改良された経験が何度かあります。
例えば、自動車の車検証の記載事項や工業製品のリサイクル等で仕組みが変更された事実があります。
ここで勘違いしないでいただきたいのは、別に管理人のブログ記事が世の中に影響を与えたとは思っていませんよ。同じような考えを持つ人達のブログやネット記事が束となり、大きな力となって世の中を変えたのではと思います。
ネットは世界と繋がっている以上、ある意味、チャンスは日本のみならず世界に広がっているのではないでしょうか。
(P.S.)
当ブログ記事を公開した日付は、2015年12月20日。当記事は長い期間、アクセスが少なくて鳴かず飛ばずの状態が続いていました。
世の熱心なブロガーはブログ記事を公開後、半年、1年が経過してもアクセスアップが望めない場合、その記事を削除してしまうことがあります。
その点、管理人はゆる~い感覚で当ブログを運営しているため、記事を公開後、その事を忘れてしまうことが少なくありません。
Googleのアクセス解析ソフトによると、なぜか2020年12月から当記事の表示回数とアクセス数が増加傾向にあります。ブログの世界でこのような現象は珍しく、管理人は不思議に思っています。
もしかして、この世の「天才」という存在が気になっている人が増加傾向にあるのでしょうか。それとも、Googleアルゴリズムが当ブログに対して評価を上げているのでしょうか。
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はじめまして。ランキングからきました。
世の中いろんな天才がいますね。いろんな天才を分類するとこんなにあるとは思わなかったです。
勉強になりました!ありがとうございます!
初めてコメントさせていただきます。
PHYと申します。
物販事業を行いながら、
情報発信にも力を入れている者です。
このまとめは面白いですね。
特に最初の天才の定義が身にしみました。
能力が高いだけじゃダメなんですよね。
その力が社会に認められることが条件なんですね。
自分がどの方面に向いているのかということについて、
考えさせられました。
勉強になりました。
ありがとうございます。
応援させていただきました。
私もブログを運営しておりまして、
お時間あるときにでも遊びに来てくださると嬉しいです。
では失礼いたします。
お邪魔させて頂きました
丁度生きづらい
天才になれたらなと思って
たまたま見つけたのがきっかけでこの記事に出会いました
私はネガティブな感情にならないと頭が冴えません
なので出来れば不幸でいたいのです
ポジティブな感情になっていると物事が見えなくなりそうで何もない平凡で幸せな日々がとても苦しいです。
かといってネガティブな感情になるのも苦しいです。
もし記事のネタに出来るのであればこういった方の記事を
書いて頂けたら有難いです。
Hさん
ネガティブな感情になると頭が冴えるとはどのような心理状態なのか考えてしまいました。人は追い込まれると火事場の馬鹿力ならぬ底力を出せる事があるため、その意味なのかもしれません。人は適度なプレッシャーが必要だと思いますし、その方が鍛えられて力を出しやすくなるでしょう。しかし過度なプレッシャーを受け続けると心身共に疲弊して最終的には病気に至ります。
逆に人は必要以上の努力をあまりしないのではないでしょうか。物事が上手くいっている時は気持ちが緩んでしまう傾向があると思います。だから「勝って兜の緒を締めよ」ということわざがあるのでしょう。
人の心理は振り子のように揺らいでいますし、今考えている事と将来考える事は違うことがあります。Hさんから頂戴したテーマは深いものだと改めて感じました。Hさんのテーマで記事が書けるのか考えてみます。