管理人は無宗教徒。日本人の中には、自分は無宗教徒だと思っている人が結構多いと思います。
ところが、自分では意識していないものの、日本で生まれ育った自分の根底には仏教が宿っていると思います。何故、このように言い切れるかと言うと、自分が外国人と接することで、自分は仏教の影響を強く受けていると気付かされるのです。
人は生まれ育った環境の中で人間が形成されていくもので、人の思想は育つ環境と教育の影響を強く受けます。
Contents
巨大な敷地の新興宗教
この世には新興宗教が存在します。新興宗教の数はとてつもないほど多い。
2013年、旅行で某県へ行き、某宗教団体の巨大な敷地が視野に入ってきて、ブッたまげた事があります。具体的な県名を言ってしまうとバレバレですから割愛しますけど。
信者たちのお布施で新興宗教は、あのような巨大な敷地の中に巨大な建物を建立したのかと思うと、恐ろしさすら抱いたのでした。
まあ、管理人が新興宗教に興味を抱くことは有り得ませんけど、その筋の本を読んだことは1回や2回ではありません。何故なら、食わず嫌いでは視野が広がらないし、若干の好奇心があったからです。
新興宗教の関連本を読んで読書感想文を書くつもりは毛頭ありませんけど、ああそうですかといったところでしょう。
仏教の因果応報
仏教には因果応報という考えがあります。Wikiによると、因果応報とは
「一切が、自らの原因によって生じた結果や報いであるとする考え方」
とあります。
20代で因果応報という言葉を知っていても、その深い意味を知っている者は皆無でしょう。これは、人生経験を重ね、数多くの人たちを見てくることで、因果応報の深い意味に気付くことになります。
「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」といった考え方自体は、仏教に限ったものではなく、世界に広く見られる。ただし、仏教では、過去生や来世(未来生)で起きたこと、起きることも視野に入れつつこのような表現を用いているところに特徴がある。
出典Wikipedia、因果応報
仏教では、因果応報が輪廻転生(リインカーネーション/Reincanation)に繋がるという考え方があります。もちろん、人があの世に行けば、死人に口なし。来世がどうなるかは分からないし、証明もできません。
ただ、悪事を繰り返しているような輩達が幸福になるとは思えませんし、来世で幸福になるとも思えません。宗教の概念を超えて、人から感謝されるような生き方をしたいものです。
コメント