常識とは何でしょうか。時々、「あの人は常識が無い」といった言葉を耳にすることがあります。
ここで、常識というものをきちんと定義する必要があるのかもしれません。しかし、そんなこ難しい哲学的なテーマを掲げたところで結論が簡単に出るとは思えません。
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範囲が広い常識
世の中には常識というものが多々あります。
人としての有り方の常識。
日本人としての常識。
関東人としての常識。
関西人としての常識。
男性、女性としての常識。
地域住民としての常識。
マンション住人としての常識。
住宅地の住人としての常識。
ビジネスマンとしての常識。
一組織の中の常識。
製造業の常識。
販売業の常識。
物流業の常識。
株式市場の常識。
不動産業の常識。
建設業の常識。
接客業の常識。
医療業界の常識。
これら以外にも、常識と言われるものは数え上げればきりがないでしょう。常識というものは、長い年月の中で培われてきたもの。しかし、それは哲学とは明らかに違うものです。
哲学は10年や20年程度で右往左往するものではありません。
一日本人が海外へ飛び出すと、自分の常識が海外ではまったく通用しないことに気が付きます。その時、初めて自分は井の中の蛙であったことに気付くきます。ですから、若者に対して海外旅行を勧めるブログを書いてみました。
そこで、常識とは一体何であるか再考してみましょう。
ゆでガエル
人はゆっくりとした変化には意外と鈍感です。ところが、人は急激な変化に対しては敏感に反応します。
「ゆでガエル」という言葉があるように、人が湯に浸っていて徐々に湯温が上昇していけば、やがてのぼせてしまいます。
ところが、人が熱湯に飛び込めば、100%間違いなく飛び上がります。かつて、たけし軍団が披露していた熱湯風呂シリーズがいい例です。
人間は緩やかな変化に対しては意外に鈍感ですが、急激な変化には敏感に反応する生き物と言えるでしょう。
例えば、家を新築してから5年、10年は大してガタが出ません。
その後、築15年、20年、25年と年数が経過すると、雨戸がガタピシし始めたり、和室の引き戸にガタが出始めたり、壁紙が汚れてきます。
ところが、その家の住人はそれらの変化に対してとても鈍感です。何故なら、住人は1年365日、その家を住処としていますから、日々の僅かな変化に気が付かないのです。
新築祝いで招待を受けたお客さんが20年、25年ぶりに、その家を訪問すると、一目で家の劣化に気付きます。彼らは家の劣化を目の当たりにして、年月の経過を改めて感じるのです。
元来、人間は保守的な生き物ではないでしょうか。人は本能的に急激な変化を嫌う生き物だと思います。多くの人たちは、今まで生きてきた延長線上で生きていきたいと思うでしょう。
建設屋さんは、今後も建設業の世界で生きていきたいと思うでしょうし、製造業者は今後も製造業で生きていきたいと思うでしょう。ところがどっこい、時代の流れは人々の願望とは一切関係無く、無情にも移ろいて行きます。
常識というものは、時代と共に変化していくもの。言い換えれば、新しい時代が常識を変えていくと言った方が正しいでしょう。常識というものは案外、底が浅いものだと思います。
例えば、株式を例に挙げてみましょう。
私はバブル経済を知りませんし経験していません。しかし、書籍や他の情報源からバブル経済時代の空気は十分読み取っているつもりです。
日本人は日経平均に夢を見ていた
1989年、日経平均株価は3万8千円台を記録し、株式市場は翌年には4万円台を超えて5万円台を目指すのではと期待が大きく膨らんでいたそうです。
当時、証券会社の業績は絶好調で、営業職員ではない女性社員に対しても高額なボーナスを支給したと聞いています。
証券関係者は夢いっぱい、お金いっぱいだったのでしょう。
しかし、その女性社員たちに支給されたボーナスは翌年の大発会のための振袖代に消えてしまったらしい。
当時、着物屋さんも儲かったようです。と同時に泡銭身につかずの典型例でしょう。
バブル崩壊
ところが翌1990年に入り、日本国内の風向きが大きく変わりました。日経平均株価は期待とは裏腹に音を立ててガラガラと崩れ始めました。日経平均株価は4万円台どころの話ではありません。
日経平均株価は乱高下を繰り返しながら、1990年の12月末日には2万3千円台で大納会を迎えたのでした。
たった1年で、日経平均株価は1万5千円の暴落、いや大暴落したのでした。
不動産投機
次に、当時の不動産業界も超が付くほど鼻息が荒かったと聞いています。
業者が土地を仕入れると、坪単価がどんどん上昇していきます。銀行は過剰な融資を繰り返し、それが不動産価格の更なる上昇に拍車をかけます。業界は我先にと不動産売買に熱中します。当時、不動産投資というより投機であったのでしょう。
不動産は株の世界と類似しているようで、安く仕入れる人より高値を掴む人の方が圧倒的に多い。バブル崩壊後、各銀行の過剰貸し付けが原因で不良債権の山を築いてしまったのが何よりの証拠です。
平成の超低金利時代
その後、超低金利時代が長く続いています。超が付くほどの低金利が始まったのは、金融機関を救済するのが目的でした。やはり、金融機関は他の民間企業とは立ち位置が根本的に違います。
そして今もなお、デフレ経済が続く日本では超低金利が続いています。
ちなみに、とある株式投資家は1980年代後半、OLが電車内で株価欄を熱心に眺めている光景を目にして、もう潮時と感じて株を売却したという。
これは17世紀のオランダのチューリップバブルと似ている。オランダはチューリップ栽培に適しているそうで、それは投機の対象ではありませんでした。
しかし、チューリップの栽培業者のみならず、一般大衆がチューリップの取り引きに手を出し始めて価格は高騰を続けました。そして、相場はいつか天井を打ち、チューリップ相場は暴落したのです。
大衆心理は木の葉のように舞う
かように、時代の変化は大衆心理を大きく狂わせ、平常心を失わせてしまうところがあります。市場の大きな変化は人々の常識を大きく振り回す。これは歴史が証明している真実です。
時代にマッチした常識というものは、大海原に浮かぶ木の葉のように移ろいて行く。それは、絶対的な哲学に相当するようなものではないのは、歴史が証明しています。
いつの時代も流行があります。流行は常に移ろいて行くもの。よって、常識は当てになるようで、大局的には当てにならないとも言えるでしょう。
ユニクロに代表されるファストファッションは一世風靡したかもしれませんが、H&Mやアバクロだって負けてはいないでしょう。アンチ・ユニクロ派だっているかもしれません。
バブル経済の頃、多くの若者はDCブランドに熱狂したそうです。ローンを組んで50万、100万円のお金を洋服につぎ込む若者が少なくなかったようです。今の時代では、到底考えられません。
ところが、バブルが弾けて1億総国民は高額なDCブランドには目もくれなくなっていきました。
もし、私がタイムマシーンに乗ってバブル経済の頃に遡り、アパレル関係者に対してこのように発言したら、彼らはどう反応するでしょうか?
「20年後、多くの日本人は1枚1,000円、2,000円のニットシャツやフリースを着て、3,000円のジーパンを履くようになります。靴下は3~4足で1,000円。しかも、それらの品質は素晴らしいのです。」
おそらくアパレル関係者の多くは、きょとんとした顔をするか、せせら笑うことでしょう。
2018年現在、人気を集めているブランドは相変わらずファスト・ファッションブランドと歴史のある高級ブランドへと二極化しています。
固定観念と一部の常識は永遠ではない
ビジネスの世界は日々の株価のように変化し、大衆心理も変化していきます。時代はいつも特有の「空気」を持っていて、時代の変化が新たな常識を作り上げていき、それを繰り返していきます。
子供の頃から20代にかけて、頭の中に矯正ギプスが存在しないから自由な発想で物事を考えます。子供が描く絵は「ぶっ飛んでいる」ことが多いですが、言い換えれば子供たちは天才なのです。
誰もが人生経験を重ねていくにつれて常識的になってしまい、子供の頃のような斬新で自由な発想をしなくなっていく傾向があるでしょう。
しかし、目の前の社会は日々変化しています。
今まで積み上げてきた経験や常識は人の基礎となります。しかし、いつか常識が覆される日がやってきます。固定観念と一部の常識は永遠に通用するものではないのは確かでしょう。
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