日常生活で「センス」という言葉を何気なく使うことがあります。辞書で「センス」を調べてみると、感覚、感じ、勘、判断能力、観念、認識、思慮といった言葉が連なります。
普段、「センス」という言葉は、あまり深く考えずに使われていないような気もします。
人が持つセンス、素質というものをよく考えてみると実に幅広いと思います。
例えば、運動、美術、音楽、演劇、映像、デザイン、言語の分野ではセンスが必要とされると思います。他にも、センスが必要とされる分野は多々あるでしょう。
スポーツ選手
スポーツの世界では、明らかに人それぞれ身体能力、素質に違いがあります。
短距離走が得意な人もいれば、長距離走が得意な人もいます。
これは、持って生まれた筋肉の質(遅筋と速筋)の割合がある程度決まっているようです。
100m競争のボルト選手がマラソンで頭角を現すのは不可能なのです。逆に、ケニアやエチオピアのマラソン選手は100m競争で勝てないのです。
次に、野球の世界に目を向けると、プロ野球選手の大谷翔平さんは、センス豊かで強靭な身体を持つスポーツ選手。彼は、明らかな天才肌。もしかして、大谷さんはイチローさんを超える天才かもしれません。
彼らは、持って生まれたセンスと運動能力の持ち主であるのは間違いありません。他のプロ野球選手が努力で彼らを追い越すのは不可能でしょう。
スポーツの世界は、練習では乗り越えられない壁があります。
芸術のセンス
次に、芸術の世界でもセンスは必要だと思います。
小学生の頃、授業で写生を学びます。
絵が上手い子は、最初からなかなか上手い。クラスの中で、絵が断トツに上手い子が1人や2人はいます。
管理人は自分が描いた絵と上手い友達の絵を見比べて、子供心にセンスの違いというものをひしひしと感じたのです。
音楽のセンス
音楽の世界でも同様。
作曲や歌の世界は根底にセンスが必要であり、それプラス本人の努力と運によって花開くものではないでしょうか。音感が無い人や音痴でプロになった人がいますか?
ちなみに、作曲家の坂本龍一氏はセンス豊かなミュージシャンの一人だと思います。
空間認識能力
空間の認識センスには、性差が存在すると言われます。
随分昔、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本がベストセラーになりました。
紙の地図は平面ながら、実際に地形はデコボコしています。平野部から山岳地帯へ向かうと、標高差は1,000m以上。地図上では山岳道路が10km続くとしても、実際に移動する距離はそれ以上なのです。
道路の作りは立体的で、アンダーパスやオーバーパス、国道の上に高速道路が走り、らせん状の道路もあります。
しかし、A地点からB地点へ向かう時、方向を見失わなければ困ることはありません。大回りして多少時間がかかっても、目的地に到着できます。大雑把に言えば、方向さえ把握していればいいのです。
カーナビに頼ってばかりいると、人間が本来持っている方向感覚が明らかに鈍ります。
脳の性差
女性はどちらかと言えば、方向や空間認識が得意ではない傾向があります。
これは、管理人がある女性から聞いた話。
彼女はショッピングモールの立体駐車場にクルマを駐車しました。ショッピングから帰ってきたら、自分のクルマの場所が分からず、遅い時間まで途方に暮れていたという話を聞いたことがあります。
男性なら、このような事はまず無いのです。
勿論、中には男性と変わらない方向感覚を持つ女性もいるでしょう。逆に、方向音痴気味の男性もいます。
確実に言えることは、男性と女性の脳を比較すると、つくりに違いがあり、これが性差。男性が無理して話を聞き、女性が無理して地図を読んでも両者共にハッピーになるとは思えません。
短所と長所は表裏一体の関係
人は誰でもセンスや素質の有無、得手不得手があるもので、努力だけでは乗り越えることができない壁があると思います。
ビジネスの世界でも、物を作るのが得意な人もいれば、販売が上手な人もいます。緻密な作業が苦にならない人もいれば、大雑把な人もいます。
これらは、どちらがいい悪いの問題ではなくて、長所の裏返しは短所であり、短所の裏返しは長所。短所を克服するよりも、長所を生かした方が断然効率がいいし、全てにおいてプラスに作用すると思いますね。
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